[04]



 あれから一週間ほどが過ぎ、暦は四月に変わっていた。
 新年度を迎えた新宿駅前には、真新しいスーツがちらほら見かけられる。彼らの表情は一様に晴れやかなものではなかったが、その心に期待と不安が入り混じっているのだろうと思われた。
 そんな中でラフなワイシャツ姿の女――カサネが黒い巾着を持ったまま、視線をあちこちに飛ばしている。待ち合わせに駅前が使われることは多い。だが、今回の目的は人探しだ。
 そこへ、ふわりと黒い着物が降りてくる。
「カサネちゃん、駅の周りにはいないみたい」
「……そうか」
 人ではない彼女は一般人には見えないらしい。
 カサネは何もない空間を見上げて、ブツブツ話しかけていることになる。タイミング悪く、その光景を見てしまったらしい若者はぎょっと目を見開き、そそくさとその場を去る。この先も冥理夜に付きまとわれるなら、こういう反応は慣れるしかないだろう。
 とはいえ、手伝ってくれることに対しての礼は言っておく。
「ありがとう、冥理夜」
「い、いやん。こんなことくらいで、ありがとうなんてぇ」
 モジモジ、くねくね。
 何故か冥理夜は真っ赤に熟れた頬を包み、恥らいに体をくねらせる。つくづく他人に見えなくて良かった、と思った瞬間だった。
(面倒な仕事を請け負ってしまったな……)
 軟体動物になってしまった冥理夜は放っておき、カサネは黒い巾着に目をやった。
 その日、いつものように書庫にいたカサネは電話中だった。
 自分には何としても追い詰めたい仇がいる。この命、そして人間を捨てた体の全てを使ってでも、憎い相手を滅ぼす。藤沢家を襲ったのは大きな体躯の妖魔だった。だから討滅依頼も、大きなサイズを優先的に請け負っている。
 小物に用はない。
 あんなものはいくらでも湧いてくるし、大きな害をもたらさない。十や二十倒したところで、報酬は大物の一体分にも満たない。
 だから情報を集める。
 カサネは一匹狼のやり方を貫いていたが、人間の情報屋に知り合いがいなかったわけではない。あくまでも仕事上の繋がりだ。関わりすぎるとろくなことはない。
 燈明堂とうめいどうに関しても、一定の距離を保つつもりだった。
 最終手段として彼らの手を借りる決断をしたのだ。積極的に足を踏み入れることもないだろうと思っていた矢先、ヴォルから電話がかかってきたのである。
「アナテマについて、何か分かったのか?」
「いえ、実は……」
 そういう契約なのだから期待するな、という方がおかしい。
 ヴォルもそれは分かっていたのだろう。いつになく話しづらそうに切り出した。
「私の友人が、お店に忘れ物をしていったらしくて。つい先ほど出掛けたばかりで、そう遠くには行ってないと思うんですよ」
 すうっと脳内が冷めていくのを感じる。
「……で?」
「まことに申し訳ないのですが、彼に届けていただけないでしょうか」
「それくらい貴様がやればいいだろう」
「いいえ、残念ながら。とある事情がありまして、私は燈明堂から出ることはできないんです。要を一人で使いにやるわけにはいきませんし、カサネさんしか頼れないんですよ」
 ぐっと詰まった。
 カサネはお人好しだ。妖魔ハンターを始めてから、極力人付き合いをしないようにしてきたから知っている者はほとんどいない。冷淡で妖魔のことしか頭にない戦闘狂、とでも思われているかもしれない。
 ヴォルがカサネの性格に気付いているかは、分からなかった。
 どこまでも低姿勢で申し訳なさそうに言われてしまえば、カサネの口から「う」とか「ああ」とか要領を得ない音が漏れ出る。その一部をちゃっかり拾い上げ、燈明堂の店主は嬉しそうにこう言った。
「助かります。では、お待ちしていますね」

 今になって思い返せば、上手く乗せられたのだと少し悔しくなる。
 それでも要のにこにこ笑顔に出迎えられ、ヴォルの淹れてくれた美味い茶を飲んでいると、まんざらでもない心地になってくるから不思議だ。
「弁当に携帯電話、か」
 落とさないでくださいねと渡された巾着の中身は、ごくごく一般的なものである。
(忘れ物というから何かと思えば……)
 魔にも色々ある。彼らのように人間臭い存在だっている。そういう気配が分からない人間には、ヴォルや要の正体にも気付かないはずだ。
 軽く溜め息をつき、周囲を改めて見回す。
「あっちの辺りとか居そう!」
「……まるで獣探しみたいな言い方だな」
 カサネは独り言を装い、小声で冥理夜に話しかける。
 さっきも似たようなやり取りをして通行人に妙な目で見られてしまったのだ。駅前通りを過ぎると、やけに視線を感じるようになった。だから明るい時間は苦手なのだ、と内心で愚痴っても仕方ない。
「そういえば、冥理夜。お前は燈明堂をよく知っている、と言ったな」
「うん」
「……訊いていいか」
「うん、なぁに?」
 質問されたのが嬉しいのだろう。ほんのりと頬を染めた冥理夜が、カサネの隣に寄り添ってきた。左肩の辺りにふわふわ浮いているから、自然と視線も上向く。
 すぐそこにとろけるような笑顔があった。
「あの店主も要という少女も、妖魔なんだろう?」
「そうよ」
「妖魔というのは、その……必ずしも外見通りの年齢ではないことは承知している」
「うん」
「あの要って子は、ずっとあのままなのか? そそっかしいというか、幼稚というか……何年も長く生きているようには見えなかったのだが」
「えっとね。じつは要ちゃんは、最近生まれたばっかりの子なの。だから、転んじゃったりとか多いの」
「最近?」
 カサネは眉を寄せた。
 魔という存在は人間のように肉体を持たないものが多い。そのせいか衰えることはあっても、老いを知らない。すぐに消えてしまうものもあれば、数百年の時を漂い続けるものもいるのだ。そんな彼らのいう『最近』が、人間にとっての何十年前なのか。
 訝しげなカサネに、冥理夜は真面目な顔で頷く。
「うん、最近だよ」
「一体何年前だ?」
「う~んと、十年ちょいくらいかなぁ」
「ということは、あの子は十歳ということになるのか」
「えっとね。十一だか十三だか、そのくらいだったと思うの」
「……そう、か。分かった。ありがとう、冥理夜」
「うん」
 冥理夜の屈託ない笑顔に、カサネの古傷がしくりと痛んだ。
 瀕死の重傷を負い、家族を失い、ただ茫然と時間が過ぎるのを眺めていた日々。今のカサネにとって、それは遠い遠い過去のことだ。明日が来るのを当たり前だと思って、信じて疑わなかったあの頃。
 一切笑わなくなったカサネの代わりに、冥理夜が笑っているような気さえする。
 要を見た時、亡き妹の面影がダブった。幼い声で『お姉ちゃん』と呼ばれた時、拒絶したい衝動よりもひどく懐かしい想いに囚われた。
(よく、笑う……子だっ、た)
 目を閉じ、愛おしい記憶を奥底へ封じ込める。
 今やらなければならないのは、燈明堂の依頼を無事に果たすことだ。あの店主のことだから、単に忘れ物を届けるだけで終わるまい。情報と交換か、あるいは探している相手が何らかの鍵を握っているのか。
 とにかく会ってみなければ分からない。
 雑踏の中をかき分けながら、歌舞伎町方面を目指す。行き交う人に探し人を求めているうちに、西新宿駅近くへさしかかった。
 その時、若い男のかすかな悲鳴が耳に入った。
 ハッとして立ち止まり、カサネは素早く周囲を見回してみる。その様子にきょとんとする冥理夜もすぐ近くで留まった。駅の周辺は人の数が一気に増える。声のした方角を定めたカサネが走り出す。
 人混みに埋もれてしまいそうな白い髪を追いかけようとして、冥理夜はふと空を振り仰いだ。数羽のカラスたちが、じっとカサネを見ている。気になるといえば気になるのだが、こうしている間にもカサネはどんどん行ってしまう。
 とりあえず放置、と冥理夜は着物の裾を翻した。
 表通りから建物の間に入り込む。狭い路地を風のように通り抜け、コンクリートに『歌舞伎町一丁目』のプレートを横目に過ぎる。突如ぽっかりと空いたスペースは、災害の一時避難所として用意されているらしい。そこで五、六人ほどの男たちが騒ぎを起こしている。
 カサネは垣根のように取り囲む野次馬たちにまぎれ、様子を観察した。
 一人相手に数人がかりの喧嘩だ。既に何人かは地面に転がり、ぐったりとしている。中心にいるのが、長髪で黒ずくめの眼帯男だった。彼に仲間をやられ、逆上した男たちが何やら喚いている。
「ギャンギャンうるっせぇな、俺ァ今、気が立ってんだよ。さっさとかかってこい」
 男が飢狼がろうを思わせるギラついた目で凄めば、たちまち怯んで勢いを無くす。
 野次馬も多くが身を竦ませているのに、呑気な声が上から降ってきた。
「あーあ、龍ちゃんったら。まぁたケンカ起こしてるんだ」
「龍? まさか、例のヴォルの友人とやらか」
「うん、そうだよ」
 割り込むべきだろうか。
 カサネがそう思案するまでもなく、男たちが捨て台詞を吐いて撤退を始めた。
「……ックソ、やってられるか。行こうぜ!」
 倒れている仲間を連れて、その場から立ち去っていく。中には気を失っている者もいるようだが、一人も殺していない。
 一方、観客という名の野次馬たちも次第に輪を崩しつつあった。面白い見世物が終わってしまったので、それぞれの日常に帰るのだ。別段珍しい光景でもなく、カサネはそれを静かに見送った。
「チッ、ヤり甲斐も無ぇな」
 不機嫌そうに舌打ちした男は土埃を払い、着崩れたシャツを調える。
 そのピリピリした雰囲気に怯むことなく、カサネが歩み寄っていく。
「あんたが長谷川 龍介はせがわ りゅうすけ、か?」
「ぁあ? だったら、どうし……」
 男は嫌そうに振り向いたものの、カサネと目が合った直後に言葉を詰まらせる。漠然とした既視感とでもいうのか、初めて会ったような気がしない。
「……お前、誰だ?」
「私は藤沢カサネという」
「藤沢……」
「お前の友人から、届けて欲しいと荷物を預かってきた」
 カサネは淡々と説明しながら、黒い巾着を差し出す。燈明堂の関係者で、冥理夜も知っている相手が人間である確率は非常に低い。多勢に無勢でも全くひけを取らない戦いぶりからして、並みの腕前ではないだろう。
 巾着を一瞥し、龍介は小さく毒吐いた。
「チッ、あいつ……わざとだな」
「どうかしたのか?」
「いや、何でもねぇ。ありがとよ。それと」
 冥理夜へと視線を移し、
「久しぶりだな、お嬢さん」
「やぁだ。バレてたのね」
 くすくすと笑って、カサネの隣に降り立つ。地に足はついていないものの、しなだれかかるように肩へ手を回すのはもう常のことだ。
 龍介は頭をガシガシと掻き、
「妖気ムンムン出しやがって。隠れる気なんか無いだろが」
「気配とか消すの面倒なんだもん、疲れちゃうし」
 ぷっくりと頬を膨らませる。
 しかし、すぐにころっと笑顔へ変わった。カサネを見る時は、いつでもニコニコ笑顔になるらしい。至近距離での対話にもすっかり慣れた。
「龍ちゃんはね、とっても長生きしてる赤鬼さんなの。カサネちゃんも鬼だから、気が合うといいね」
「赤鬼?」
「まぁな。ただし、オメェと違って根っからの妖怪だが」
「分かるのか?」
「ククッ、伊達に何百年も生きてねぇよ。あー、っと……」
 龍介が言いかけたところで視線をそらし、やや思案する顔になる。
「カサネ、でいいか? 堅苦しいのは好きじゃないんでな」
「あぁ、構わない。では私も、龍介と呼ばせてもらおう」
「おぅ、いいぜ」
 にやりと笑う。
「俺と知り合ったのが運の尽きだな。鬼特有の戦い方ってやつをミッチリ教え込んでやるよ、新米」
「お手柔らかに頼む」
 耳慣れない響きに苦笑しつつ、カサネも頷いた。

 その頃、燈明堂ではきちんと正座をしたヴォルが茶をすすっていた。
 端では要が床に画用紙を広げ、寝そべってクレヨンで殴り書きをする。何を描いているのか、実に楽しそうだ。
「さて、あの藤沢さんは、『あの』藤沢さんなんでしょうかね……」
 言葉の意味が分からず、要がきょとんとする。
 手を止めた拍子にクレヨンがころころと転がっていき、ヴォルが拾った。その色をしばし見つめてから、はいと手渡す。しかし受け取ろうともせず、要は目を瞬いた。
「どういうこと?」
「そのままの意味ですよ」
「うぇ??」
「入れ物が変わろうと、その中身は同じ……しかし味わいは別物でしょうね」
「???」
 ヴォルの言い方は回りくどく、ひどく抽象的だ。要が理解するには、かなり難しかったらしい。頭の中にいっぱいのハテナマークを量産しすぎて、完全に固まっていた。
 飲み干した湯飲みの底に、茶葉がわずかに残る。
 ヴォルはぽつりと呟いた。
「いよいよ、ですか」








[05]



 夢を見ていた。
 この日は、妹の舞の誕生日である。
 せっかくの日曜で家族が揃う日だというのに、カサネだけはバレー部の大会があったため祝えずにいたのだ。だから夜は皆で食べよう、と約束していた。
 母と父、そして舞はリビングでカサネの支度を待っていた。いそいそと着替えを済ませ、自室のドアを開ける。
 不意に電気が消え、母の悲鳴とガラスの割れるが響き渡る。
「な、なにっ?」
 あわてて階段を下り、リビングへ向かうカサネの前に、黒い大きな影が立ちふさがった。ギョロリと赤い目がカサネを捉える。射竦められたように、硬直してしまった。
「あ……、わ……」
 声にならない声は掠れ、震える足で後ずさりする。次の瞬間、左手に衝撃が走った。
 恐る恐る、左手首を右手で触れる。ぼたぼたと暖かい液体が流れ落ち、今まで感じたことの無い激痛に意識が朦朧とする。
 暗闇の中、月光に照らされて父が影に飛び掛っていく様子がぼんやり見える。
 母がカサネと舞の名を、泣きながら叫んでいる。
 ガラスが割れて、屋外に何かが落ちた。
 母の泣き声以外が聞こえなくなり、化け物が去ったのかもしれないと思った。食いしばって立ち上がる。ふらつきながら、キッチンの方へと向かう。
 不意に、母の声が消えた。
「か、母さん?」
 月明かりが差し込むキッチンの隅で、身を縮めて震える妹が見えた。
「舞っ!! よかった……」
 近づこうとした瞬間、いきなり左足と左肩に違和感を覚えて倒れるカサネ。妹を確認しようと顔を上げた先に、姉の身体から千切られた左足を見て愕然とする妹が見えた。
 左足の付け根と左肩から、どろどろと血が抜けていくのが分かる。
 視界が、黒い影に遮られた。
「や、やめ……ろ……」
 変わり果てた母の顔。
 舞の悲鳴、ぐちゃぐちゃ、と肉の裂ける音。
 濡れて、くぐもった獣のうなり声。
「やめろぉぉおああっっ」

 ガバッ、と飛び起きる。
 カサネはハァハァと荒い息を繰り返し、顔は涙と汗でびしょ濡れの顔に触れた。確かめるまでもなく、全身も汗まみれだ。
 窓の外は三日月。あの日は、真円に近いくらいの月だった。
「また……あの夢……」
 深いため息を吐き、顔を両手で覆う。
 呼吸を整えてから、視線を左腕に移す。グっと握り締め、
「仇を殺し、恨みを……晴らす」
『そのための、力だ』
 師の言葉を思い出す。異形となったカサネを導き、力を与えてくれた師。
「早く使いこなさなければ……この、力を…!」

 フェンスで囲われた屋上にて。
 春にしては冷たい夜風が、ひゅうひゅうと吹く。冥理夜はフェンスの外側に座って、三日月を眺めていた。咲きこぼれるような笑顔は、ない。
「………」
 目を細めれば、薄い水色の三日月が二つ生まれる。
 赤い舌がぺろりと、艶やかな唇を舐めた。
 そこからほど近いところ――事務所《デスドライブ》近くの電線から――、金目のカラスが飛び立つ。夜の空をゆうゆうと渡っていき、赤い髪の少年の肩へと止まった。
 少年は、ニッと笑う。
「ようやく、当たりのようだぜ」








[06]



 四月の中頃も過ぎた夕方、カサネはしかめっ面でファイルをめくっていた。
 何者かの視線を感じ、はっと顔を上げる。素早い動きで窓を開ける。
 大型のカラスが一羽、まるでコウモリのように逆さまにぶら下がっている。そのクチバシに、一枚のハガキをくわえていた。
「なんだ、こいつ……」
 訝しげに見つめるカサネに向かって、ハガキをぺっと吐き出す。そうして羽ばたき、赤く染まりつつある空であざ笑うかのようにギャアギャア鳴いてから、飛び去っていった。
 カサネは素早く窓を閉めると、コートを羽織る。断業剣だんごうけんを手に、事務所の外へ飛び出した。
 風のように走るカサネの横に、冥理夜がふわりと寄り添う。
「ねぇねぇ、どこにいくの?」
 好奇心をくすぐられたか、冥理夜がキラキラと目を輝かせて覗きこんでくる。
 カサネは前を向いたまま、ハガキを見せた。宛名はない。裏に読みにくいほど崩したアルファベットで、英文が書かれているだけだ。
「なあにこれ? ぜんぜんわかんない」
「英語だ。読めないのか?」
「わたし日本人だもん」
 カサネは呆れたようにジト目で冥理夜を見る。そんな目線にも構わず、冥理夜はカサネにべったりとくっつきたがる。
「ねぇねぇ、なんて書いてあるの~?」
「ええい、走りにくい」
 冥理夜を肘で押しのけて、カサネはため息をつき、
「内容はこうだ。……君の知りたがっていることを話してあげよう。小金井の夜桜でも見ながら、どうだい」
「なにそれ」
「つまり、小金井公園まで来いとさ」
「ふぅーん。……で、なにしに行くの?」
「さぁな。挑戦状にしては妙だが、行ってみないことには」
 多くの人で賑わう駅とは反対の方向へ疾走するカサネ。少しずつ人の姿が減り、暗闇が増していく。
「ここ数日、同じカラスが私のことを見ていた。気付いていたか?」
 燈明堂とうめいどうへ行った日や、龍介を探した日。
 金の目をした大きなカラスがいた。大きさはともかく、金目はありえない。
「そういえば、そうねぇ」
「それほど強い妖気は感じなかったが……監視されているというのは、思ったより居心地が悪いな」
 すさまじい速さで大通りを疾走し、ほどなく小金井公園へと到着する。夜間の立ち入りは禁止されているため、人気はない。
 断業剣を手前に構えれば、刀身を覆っていた包帯のような紐がしゅるしゅると勝手に解け始める。柄だけの状態から刃を伸ばし、二メートル強はありそうな長さになる。
 キッと顔を引き締め、公園の奥へと進んだ。

 公園の中央広場には周りをを囲むように、いくつもの大きな桜の木が並ぶ。
 そのうちの一本のもとへ、鳥の羽音が降り立つ。ギャアギャアとけたたましく鳴く声が、しんと静まり返った公園内に響き渡った。
「待ちくたびれたぜ、Fujisawa」
 暗がりに赤い髪が浮かび上がり、開かれた目がエメラルドグリーンに光る。
 それに呼応するかのように、赤と黒の衣装をまとったカサネが、向かい側から姿を現す。
「私を呼び出したのは、貴様か」
「That's right. ああ、そうさ」
「早速だが。貴様が知っていることとやらを、洗いざらい話してもらおうか」
「いいぜ。ただし……」
 いきなりカサネの懐へ飛び込み、銃を突きつけるフィリオス。
「オレを満足させられたら、な」
 ニヤリと笑い顔を残し、カサネの一振りをかわす。
(速い…!)
 予想を上回る反射速度に、カサネは戦慄する。
 あちこちへ瞬時に移動する気配を、必死になって感知するのが精々だ。断業剣を二本の短いナイフに変え、両手に構える。四方八方から発射される弾丸、それをギリギリで弾く。
「その程度かよ?」
 いつの間にか背後の間合いに入っていた青年が、振り返ろうとするカサネの背に容赦ない蹴りを叩き込んだ。もろに喰らったカサネが、勢いよく吹き飛ぶ。土煙を上げて、桜の大樹に激突した。
 衝撃で吐血し、受け身も取れずに倒れる。受けたダメージの大きさに顔をしかめ、なんとか起き上がろうと腕を立てた。
 その様を見て、肩をすくめるフィリオス。
「やれやれ、とんだ見込み違いだったぜ」
「な、なんだ、と……」
「断業剣の使い手ともあろう者が、まさかこんなモンとはな」
 吐き捨てるように言い、カサネを見下ろす。不意にバッと顔を上げ、何かに気付いた様子で辺りを見回した。
「あいつらが近くに……チッ、今はまだ存在を知られるわけにはいかないぜ」
 くるりとカサネに背を向ける。
「ま、待て……。貴様は、一体……」
「Fujisawa、お前が持つ武器のPowerはそんなもんじゃないぜ。死にたくなけりゃ、さっさと使いこなすんだな」
 示し合わせたように強い風が吹き、舞い上がった桜の花びらが視界を埋め尽くす。
 風がおさまった頃には、フィリオスの姿はどこにもなかった。
 重たい体をやっとの思いで起こし、カサネは桜の大樹に背をぐったりと預ける。次第に、しゅわしゅわと炭酸水の泡がはじけるような音を立て、カサネの傷がみるみる癒えていく。
 冥理夜が、傍らにふわりと舞い降りる。明るい笑顔を向け、
「強い子だったねぇ。だいじょうぶ?」
「………」
 カサネは答えず、辺りに漂う気配に集中した。ナイフの断業剣を握り直す。フィリオスの言っていた「あいつら」か。
 どこからともなく足元から立ちのぼる白い煙が、もやもやと辺りを覆い始める。
 ガシャン、と金属音。
 続いてスポットライトが闇を切り裂き、ジャーンと場違いな効果音と共に現れたのは、赤いドレスに身を包む金髪の美女と、黒い燕尾服を着た長身の男だった。
「おお! アザレア……君はなんて美しいのだろう! 闇夜にあってなお、君の白い肌はいっそうの輝きを放つ!」
「ああ、アルスト! あなたの力強い腕の中にいられることが、私にとって最高の幸せよ!」
 情熱的に抱き合った男女は、うっとりと互いを見つめ合う。
「……なんだ、こいつらは」
 ただ茫然と見守り、目を丸くする。
 確かに気配の主はこの二人組のはずだが。と、あっけにとられて油断したカサネの頬を何かが切った。傷は浅くとも、じわりと血がにじみ出る。
「紛れもなく、あれは断業剣ね」
「ああ、間違いない。思わぬ拾い物だな」
 うってかわって鋭い目つきになった二人は、舞うように優雅に手を動かした。それに呼応し、周囲の空気が巻き上げられて無数の桜の花びらが舞いあがる。
 そして次の瞬間、それらが一気に矢となってカサネに襲い掛かってきた。
 間一髪のところで横に避け、体勢を立て直す。
「どうやら、やるしかなさそうだな…!」





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