[07]



 舞い上がる花弁のナイフを、紙一重で避け、または脇差しほどの長さにした断業剣だんごうけんで切り裂きながら、カサネは後方へ飛び退いた。常に動き続けつつ、相手の動きをじっと観察する。
 およそ深夜の公園などには似つかわしくない派手な衣装が、ヒラリヒラリと風に舞い踊っている。微笑を浮かべながら、お互いの両手を絡み合わせ、息のピッタリ合ったステップを踏む。きらびやかに輝く靴が地面に叩きつけられるたび、それに合わせて風が縦横無尽に動き続ける。
(あいつらを軸に風が巻き起こっている……ということは)
 カサネは近接攻撃を得意とするため、間合いを詰めないことには一方的に体力を消耗するだけだ。断業剣を握り直し、多少のダメージを覚悟の上で、荒れ狂う旋風の中に踏み込んだ。身体の各所が花弁の刃で裂けていく。
「あらあら、痛そう」
「おやおや、真っ直ぐ突っ込んできたようだね」
 アザレアとアルストが目を見開いて、わざと驚いたそぶりを見せた。花びらの舞わない近接距離に入り込んだカサネは、高く跳ね、武器を大きく振りかぶる。
「はぁあっ!」
 一閃。
 鋭い太刀筋は、正体不明の敵を一刀両断にし、そのまま吹き荒ぶ風をも切り裂いた。しかし――
(手応えがない…!)
 男女の姿はゆらめき蜃気楼のように霞んで、ニヤリと笑みを残して消えた。
 気配を探るカサネ。と、その瞬間。背後に真空刃のようなものが出現、瞬時に断業剣で受け身を取り防御するも、その勢いに何十メートルもの距離を一気に押されてしまう。
 体勢を立て直した時には、くすくすと薄い笑みを浮かべて優雅に踊るペアダンサーの姿があった。
「一体、何者だ? なぜ私を狙う」
 カサネは当然とも言うべき疑問を口にしていた。ろくに名乗りもせず襲いかかってくる者に、心当たりがないわけではないが、それならば弄ぶようなことはしないだろうからだ。
 それに対する答えは、意外なものだった。
「断業剣を持つ者だからよ」
「……どういうことだ?」
 困惑する様子のカサネに、アザレアとアルストもまた、お互いの顔を見合わせた。
「知らないというのかい?」
「でも……そんなことって、あるのかしら」
「どちらにしろ、持ち出されたNAネガティブ・アームズは回収せよ、との命令だからね」
「そうね」
 二人のハンターの目が獲物をとらえた。と同時に、息をぴったり合わせた激しいステップを踏み、そのたびに鋭い空間の亀裂がカサネに向けて放たれる。断業剣でなんとか受けきるが、ダメージも軽くなく、じわりじわりと距離が開いていく。
「まずい、このままでは…!」
 危機を覚え、汗が頬を伝う。その時だった。
 どくん、と息が詰まるほどの脈打ちがカサネの意識を奪う。視界が揺らぎ、脳を直接縛られたような激しい頭痛と吐き気が襲いかかった。
「うっ、ぐ」
 思わず膝をつき、苦しみにもだえる。その隙を狙ったように、いくつかの刃がカサネへと降りかかった。
 瞬間、断業剣は巨大な斧のように変形し、およそ人の力ではありえない素早さで、火の粉のように降りかかるそれらを叩き割り、また、吹き飛ばした。
 断業剣を握るその左腕は、闇より更に黒い異形の腕へと姿を変え、見開いた目は炎のように真っ赤に燃えている。荒い息をつき、鬼の力を発現したカサネは、獣のようなうなり声をあげた。飛び出したかどうかもわからぬほど瞬く間に距離を詰め、大斧を振りまわす。
 それでもなお、攻撃を避け、あるいは指先で受けながら、取り乱すどころか笑みを崩さずにアルストは「なるほど」と頷いた。
「鬼の力か、面白くなってきたな」
 しかしアザレアは心配そうに――演劇の一場面のように、アルストに身を寄せながら言った。
「ああ……いやだわ、アルスト」
「どうしたんだい? アザレア」
「万が一、私達の衣装に泥が付いたりしてしまったら大変よ。あの方の前に出られなくなってしまうわ」
「ふむ……それもそうだね」
 言うが早いか、二人は一瞬にして忽然と姿を消した。さっきまで敵がいたはずの空間を両断してから、先程までの激戦がうそのように静まり返った、夜の公園の闇の中に気配を探った。瞬間移動でもしたのか、この辺りにはもういないようだ。
 カサネは肩で息をしながら、断業剣を携帯しやすい小刀の形状へと変化させた。何度目かの瞬きののち瞳は黒へと戻り、左腕も人間のそれへと姿を変えた。
「なん、だっ、たん……だ」
 ガクリと膝を落とし、そのまま力無く地面へ倒れ込む。意識が闇に閉ざされる直前、カサネは眼前に白い女の足を見た気がした。


 洋風の屋敷を思わせる薄暗い廊下で、豪奢な衣装が汚れることも構わず膝をつく男女。と、それを見下ろす白衣の男は、軽くため息をついた。 「やってくれたね」
 静かな声音に呆れと軽蔑を多分に含ませて、それでもどこか優しげで甘い響きがアルストの耳をくすぐる。  あの方にとって、自分たちは単なる駒なのだ。思い通りに動き、思い通りの結果を出せなければ、簡単に捨てられてしまう。
 冷たい床が、今はとても嬉しい。
 隣で似たような表情をしているアザレアが、とても愛しく思えた。膝をついて項垂れた視線の先、足先しか見えない主の姿がとても恐ろしい。彼のただ一言で、自分たちの命は消えるのだ。
「も、申し訳ございません……」
「姿を晒した以上、事を早めなければならないな」
 アルストは、汗に濡れる拳を握り締めた。
「畏れながら……マスター。その者達の持つ武器は、持ち出されたNAに間違いないと」
「ほほぅ」
「次は必ず捕えてみせます」
「……ふぅむ」
 ですから温情を、とアルストは言いかける。
 この方は失敗を許さない。たとえ手塩にかけた部下であっても、どんなに可愛がっている存在であっても、冷然とそれを告げる。不要、と言われた者たちの末路は同じだ。地面を這う虫も、空を舞う鳥も、彼は一つの行動だけで全てを終わらせる。
 命を潰す。
 アザレアがそんな姿になるのだけは嫌だった。彼女を守る為なら、どんなことでもできる。もちろん、彼女を哀しませる全てからも守ってみせる。たとえ、それが自分自身だったとしても。
 沈黙が流れ、不安になったアルストが顔を上げる。主君は、跪く部下ではなく、あらぬ方を凝視していた。
「ベルゼール様?」
「……うん、うん、そうだね」
 誰かに相槌を打っているかのように、虚空を見つめ、ベルゼールと呼ばれた白衣の男は頷いた。それからアルストたちへと視線を移し、
「奴の武具を使いこなすというなら興味がある。しばらくは無視でいいよ。それより、君たちに別件を頼まなくちゃならない……引き受けてくれるね?」
「もちろんです、マスター」
「必ずや期待に応えてみせますっ!」
 絶対の服従を誓う証を見せるように、アルストとアザレアは深く頭を垂れるのだった。








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